対談/秋山駿・山川健一

犯罪の奥にひそむもの
(海燕・1994年8月号)

1犯罪の世界への入り口
山川 二十年前に『早稲田キャンパス新聞』という学生新聞でインタビューさせていただいたことがありましたね。ドストエフスキーに関するインタビューだったと思いますが。その頃から、学生のころを含めると、もう百回以上はお酒をごちそうになってるような気がしますが。
秋山 いやいや、それほどでもないだろう。
山川 でも、ちゃんとした仕事での話というのは二十年に一回ですので、今日は真剣にいきたいと思います(笑い)。まず、ぼくはなぜ秋山さんが犯罪に興味をお持ちになったのかということに興味がある。ぼくは学生のころ田無の三畳の部屋に住んでまして、秋山さんの著書に入れ込んでましたので、部屋の入り口に<イッポリートの部屋>と書いた紙を貼ってあったんですよ。そこの下宿は浪人生ばかりだったんですが、こりゃなんだとみんな笑ってました。そういう感じの浪人時代を過ごして、大学に入って秋山さんにお会いすることになるわけですけど。今から振り返ると『内部の人間』は秋山駿の原石のような本で、ぼくはもっぱら晶文社版を愛読させていただきましたが、イッポリートに関して述べる時にも、秋山さんの語り口には犯罪を巡る感触があったし、もちろん小松川女高生殺しの少年について正面から考察することで秋山さんの批評活動スタートされてるわけで……。そもそも犯罪というものに啓発されたというか、興味を持たれたのはどのあたりからですか。
秋山 いちばんの発端は、やはり小松川女高生殺しの事件ですよ。新聞の報道を見ているうちに、あれはものすごいセンセーショナルなもので、その後あれに匹敵するほど騒がれたのっていうのは少ないんじゃないかと思うけど。社会に対する挑戦だとか反抗だとか、完全犯罪をうそぶいてるとか、そういうのに興味を持ったんだね。そのうちに、彼がわざわざ警察署に被害者の櫛を送ったり、それから新聞社や捜査本部に「被害者は高校屋上の横穴で死んでいる。締めたのはおれだ」と言ったりした。あるいは「つかまらないよ」と言ったりしている。そういうことが刻々と出たんですよ。
 ついに彼が逮捕されるきっかけになったのは、電話でね、新聞記者側が「どうして君はそんなことをしたの。もしかすると『罪と罰』のラスコーリニコフの影響を受けてるんじゃないか」みたいなことを言ったんだね。そうすると、「それはそうではないよ、違うよ」とおしゃべりした。すると、時間が長くなるじゃないか。それで逆探知が可能になって、それが結局逮捕のきっかけになる。ここにドストエフスキーが出てるのがおもしろくてね。ああ、そういうものかと。
山川 それはいかにも秋山駿的世界の出来事だな。
秋山 その前に、かすかに、日本の近代文学にはどうして犯罪が書かれないんだろうと思っていたこともある。つまり、なぜ犯行者が主人公の文学が書かれないんだろうと思って、ちょっと疑問に思ってたんですよ。それは日本近代文学の七不思議の何番目かだけど。犯罪という、これほど刺激的なものがどうして小説の主題にならないんだろうと思ってた。そういうときに、小説の側ではなく新聞記事のほうに、犯人がドストエフスキーの『罪と罰』に刺激されたような犯罪が出てきた。しかも、逮捕されてわかったことだけれど犯人の年齢が十八歳ぐらいだったでしょう。「あっ、やっぱり……」と思ったんだね。しかし、なんでやっぱりと思ったのかね。
 それから後に、彼が途中でいちいち自分の状況を悪くするようなことばっかりしていたという事実があらわれてきた。あのころは読売新聞が短編小説の募集をしてて、この少年は『悪い奴』という短編小説を投稿しているんだね。そのある場面に第一の賄い婦殺しの殺人現場によく似てる描写が出てくる。この少年は反省しないで小説などを書いて送って、それでまた第二の殺人を犯すということになるんだろう、ということになっていくわけですよ。しかし、これこそ文学の急所を打ってる事実だなと思って興味を持った。
山川 新聞に小説を投稿するというのは多くの場合無視されるわけで、だとすればこれは犯罪そのものにきわめて近い行為だと言えなくもないですね。
秋山 ……敗戦直後の無秩序な光景を見てて、十五歳から十七、八歳ぐらいまでにかけてはいろんなことを思うよね。小松川の少年が考えたような、そういうこともちらりと頭をよぎるものね。彼が出会ったような、河原じゃないですけど、焼け跡にちょっとしたお店がある。それで昼間、一本の道があれば、向こうから一人女性が来るとかね。そんなことを考える自分はなにか。そういうことがあるじゃないか、十七、八歳ごろは。回り全部が堪え難いなんて思ってる瞬間があるからさ。それでああいう空想がちらりとは浮かぶものなんだろうなと思った。
山川 秋山さんの独特な考え方のひととして、人間はたとえば十八歳とか十九歳の時に生命力の点でいえばピークを迎えて、あとは下降していくだけだという仮説がありますよね。ぼくなどは自分が十七、八歳の頃秋山さんの本でそういう考え方に出会ってしまって、おかげで人生を損なっちゃって責任をとってほしいという気がしますが(笑い)、そういう考え方と小松川女高生殺しは少年が主人公の犯罪だから興味を持ったというところとはつながってるんでしょうね、たぶん。
秋山 うん、そう。いまだったら、十七歳といったほうがいいのかもしれないけど、そのときは十九歳だった。それがひとつの頂点になると思った。十九歳のとき、オギャアと生まれてから生きてきたことの全てが、一種の意味で完成に達するんだろうと思うのね。回りに、お父さんやお母さんから、友達とか、日常的な社会がある。でも、それでは、たった一人の人間になることはできないからね。つまり、十九歳で、いままで生きてきた全てのものが完成の頂上に達して、さて、そこで死ななくちゃいけない。そうでなければたった一人の、完全で自由な人間になることはできないと思う。その分水嶺があると思うんだね。二十歳になる一歩手前だね。社会へ出たらもう人間の型式があるけれど、十九歳はまだ決まらないときだから。その中で、自分の内部で一度全てものが死ぬ。それから、全てに方向が開けてる、新しい場所に出る。そうことが行われるんだ。そのとき、いままで生きてきた全てが自分の内部で死ぬか、自分がくびり殺すのか。
山川 そこに、自殺と殺人のふたつの方向が開けてくる、と。
秋山 うん。それで自殺者の声は少ないものだから。犯行者の声のほうがあったからね。でも日本では乏しいですよ、犯行者の声は。殺人などを犯した犯行者の声。日本の犯行者はみんな短歌のほうにいっちゃうけどね。みんなそれじゃないですか。自分の犯行を振り返るときに、散文の形では決してやらない。我々の目に入りやすい形で散文があったものというと、小松川と永山則夫ですよ。そうすると、こちらも考えることができる。ですから、貴重な事件であり犯行であり、そういうものだと思ったんだね。しかし、それにしても日本の近代文学には犯行者を主題としたものがなかったね。ミステリーとかああいうほうでは書かれているけど、要するに、犯行者がなぜ殺したのか、なぜ殺していいと思ったのかということがちゃんと書かれるような、そういう場面での文学というのは日本ではなかった。ところが、世界文学を見れば、犯罪というのは昔から文学の急所だ。犯罪のない文学なんてほとんど考えられないものですよ。そりゃ、そうだよ、人が人を殺すんだから。
山川 ぼくは学生の頃佐木隆三さんの『復讐するは我にあり』を、音大に通う女友達に借りて読んで、これが日本の犯罪小説の先駆け的な作品になるだろうと思ったのをよく覚えていますけれど。 秋山 戦後の文学だけでいえば、やっぱり埴谷雄高の『死霊』、あれの最初のころだ。あれは一種の犯行者を描いたものだし、その危惧が濃厚だし、秘密の雰囲気があったね。それから地下室に入ってるとか、そんな感じのものがあった。あれは犯罪ですよ。それからのちに、やっぱり三島由紀夫がやってますね。『金閣寺』といういい仕事があったし、短編でもいろいろやってた。そのあとは大江健三郎と石原慎太郎、この二人も犯罪に触れてて、犯罪的なものを主題にしている。この二人は小松川女高生殺しに触れた文章を書いたと思ったし、もうひとつは、いまの天皇のご成婚のときの投石少年。
山川 ええ、いましたね。
秋山 あの事件に触れての文章があるし、そのあとは大岡昇平が『事件』を書いて、そのあとに佐木隆三と加賀乙彦が書いた。そんな流れになると思うけど。一時、佐木隆三が盛んに書き、加賀乙彦が書いて、犯罪をテーマにした文学がこれからいよいよ盛んになるんだなと思ったら、残念なことにそうはならなかったね。また少し薄れていって、にもかかわらず、現実のほうではこれまでふつうに思ってたのとは違う新奇な、意外な犯罪、それから犯行者の鋭い声、というのが出てくるようになった。ただそれが、文学とは違った場面に存在するようになったね。そこが今の日本の文学と犯罪とのおもしろい関係だとぼくは思ってるけど。
山川 小説は犯罪にも置いていかれるばかりだと思います。
秋山 犯行者が殺人の行為に及ぶ、その行為の中に、自分でもはっきりはい言えない、要するに、自分でもわからない、なにしてるかわからないという部分があるだろう。言葉で言おうとしても言葉にならない声が、相手の喉をつかんでいるんだよ。その手の中に流れているはずのものはいったい何か。ぼくはそれを探究したいという気を起こした。現在でもうまくはいってないですよ。でも、そこにあるのは、我々が日常に生きてるものとか、そんなところではうまく考えられない、曲線のねじくれた考え方なんだろうと思う。その考え方というのが命の糸なんだろうと思うね。そういうものがあると思って、そこをつかみ出したいと思ったんだけど、それにはデータのある記録が欲しい。欲しいけど、なかなか難しいから日常的に入手し得るものというだけでやろうかと思ってるけど。現在興味を持ってるのは、連続幼女誘拐殺人事件かな。
山川 宮崎勤ですね。
秋山 うん。あの人も、被害者のうちに文書出したりしてるじゃないか。ああいう文章がおもしろかったからね。それを取り囲むような彼の言葉、ディテールが欲しい。いろいろ考えてるんだけど、むずかしい。