対談/五木寛之・山川健一

『安息の地』を書いた理由
(日刊ゲンダイに連載・1994年9月)

第1回

五木 久し振り。元気でしたか?
山川 うーん、そうでもないですね。
五木 珍しいね、君が元気がないってのは。名前からして健康第一なのに。
山川 まあ、そうなんですけど。
五木 『安息の地』、読んだよ。あれを書き終えて、さすがの君も疲れが出たのかな。だけど、とても面白く読ませてもらいました。
山川 ありがとうございます。やっとワンパターンを脱したと言われてますけど。
五木 君の今までの作品がワンパターンだとは思わないけれども、ガラリと作風が変わったことは事実だね。ノンフィクション・ノヴェルだし。しかし、これだけぶ厚い本ってのは本らしくていい。七百枚以上だものね。どれくらい時間がかかったんですか。
山川 実際に、この高校教師の夫妻が二十三歳の長男を殺すという事件の取材を始めてからは一年半ぐらいなんですが、その前に半年以上ああだこうだとやってたんですよね。
五木 その前の半年というのは?
山川 今までのような小説を書きたくなくなってしまって、心機一転ものすごく面白い小説を書いてみようと決意したわけですよ。
五木 なるほど。気持ちはわかる。
山川 それで、四百枚ほどの恋愛小説を書いたんです。大人の恋愛小説を目指したんですけど、これがどうにもならない失敗作で。
五木 昨日までロックだオートバイだと言っていた人がいきなり恋愛小説ってのは無理だよ。十年早いと言うか、まだまだ修行が足りないと思います(笑い)。
山川 それで最初の作品をボツにして、ノンフィクション・ノヴェルをやってみようと思ったんです。あるいは犯罪小説と言いますか。
五木 なぜノンフィクション・ノヴェルなんですか?
山川 これはロック世代の特徴かもしれませんが、僕も光の当たったところしか見ないという姿勢が体に染み込んじゃってるんですよね。影の部分は見ない、と。それはそれで潔い姿勢だとは今でも思うんですけど、そおういう方法論で深みのある面白い小説を書くのは不可能でだと思ったわけです。で、犯罪をモティーフにしたノンフィクション・ノヴェルなら、複数の人間の立体的な営みが描けるのではないか、と。
五木 それは、成功したと思うね。ぐいぐい読ませるよ。冒頭のシーンから犯行まで、それから最後の裁判のシーンを含めて、スピード感があって長さを感じなかった。

第2回

五木 二年もこの『安息の地』にかかりきりだったとなると、さすがの君も疲れが出ても仕方ないか。
山川 ええ、まあ。
五木 だけど、よかったじゃないか。この小説は間違いなく、今のところの君の最高傑作になったよ。
山川 ありがとうございます。だけど、他の仕事はほとんど何もしないでやってたわけですから、とうとう金もなくなっちゃって、ポルシェも売ったんですよ。
五木 メタリック・ブラウンの911カレラ?
山川 ええ。手放してみると、その車のことがほんとうによくわかりますね。実際に乗ってた時より、911が手元にない今のほうが、あの車のことが細部までよくわかりますから。
五木 そういうことの繰り返しだよ。
山川 はい……。
五木 ポルシェはまた買えるよ。でも、この小説は今しか書けないんだから。
山川 そうですね。あの車が身売りしてくれたおかげで、ぼくは『安息の地』に集中できたわけだから。
五木 そう言えば少し前に『海燕』で秋山駿さんと対談していたでしょう。あの対談では『安息の地』ではなくて『イサクの結末』という題名になる予定だって言ってたけれど。
山川 そうなんです。間際にタイトルを変更したんですよ。<結末>という言葉の持ってるネガティヴな感じが気になってしまって。今回いろいろな人に会って取材を重ねて、最後には犯人である両親にまで会いに行って、世の中には悲惨な出来事がたくさんあるなと実感したんですよ。どうにもならない苦しいことがいっぱいある。だけど、小説というのは、こんなに苦しいことがあるんだよということを書くだけじゃダメだと思ったんですね。悲惨ではあるけれども、そこに希望の光とか……希望とまではいかなくても、何かしら救いがないと。それで、両親に殺されることこそが彼にとっては安息の場所だったのかもしれない、そこにしか安息の地はなかったんだと。そういう思いを込めてつけたんですが。
五木 それが作家の仕事というものだと、僕も思うけれど。それから、これは見落としがちなことだけれども、謎解きと言うか、なぜ両親が犯行を決意するのかという謎、なぜ被害者の青年は家を出ないのかという謎を解いていく過程が、読者を惹きつけていくんだと思うんだ。
山川 その謎解きが、今回はすべてでしたね。推理小説のトリックとは少し違いますが、書いていてもそこがスリリングでした。

第3回

五木 『安息の地』を書く前に何となく意識していた作品というのはありますか。
山川 そうですね。日本で言うとやはり佐木隆三さんの『復讎するは我にあり』でしょうね。海外で言うとトルーマン・カポーティの『冷血』かな。でも、五木さんはカポーティは……。
五木 あんまり興味がなかったね。ニュー・ジャーナリズムというのは、結局日本には定着しなかったでしょう。日本でニュー・ジャーナリズムとかその流れの延長にあるノンフィクション・ノヴェルの手法で成功した作品というのは少ないんだよ。ノンフィクションの人が小説の要素を取り入れると過度に文学的になってしまって、そこが面白くない。
 小説を書いている人がノンフィクション的な要素を取り入れようとすると、逆に事実にとらわれすぎたりする。ノンフィクション・ノヴェルというのはそういう厄介なところがあって、でも君の『安息の地』はその狭間をうまく行っている。だから、ぼくはカポーティにはたいして興味はないけれども、その手法を取り入れて新しいノンフィクション・ノヴェルを書いたのは君のお手柄だと思っているけれども。だけど、今までとは勝手が違ったでしょう?
山川 ええ。ストーリィがあらかじめ決まっているわけですから、そこが難しかったですよね。この事件は非常に有名な事件で、週刊誌などでも当時かなり取り上げられたんですよ。その中に、被害者の青年はインポテンツだったという記事がありまして、裁判記録などにも両親の証言としてそのことが出てくるんですね。
五木 小説でもそのことが重要なキーのひとつになってるよね。
山川 ええ。しかし、友人達はそんなことはあり得ないと言ってるんですよ。彼はピアノが上手でスポーツも得意で、女の子にもモテていたんだ、と。女の子とホテルに行ったという話を聞いたこともあるから、そんなことはあり得ない、と。そんな具合に、取材して得た事実が食い違っている場合が多かったんです。人によって言うことがまちまちでね。しかし、どんな小さな事実や証言も整合性がなければおかしいわけでしょう。ほんとうはどうだったのか知りたいと思っても、彼は既に亡くなっているからインタビューするわけにもいかない。その間を、考えに考えて埋めていくわけです。そのうち、迷路に放り込まれたような気分になってきまして。
五木 そうだろうと思う。
山川 それが結果的に、ストリーィを読んでいく面白さに繋がっていればいいなと思うんですけれども。