| 第8章 恐怖のなかで冷笑する、ジョルジュ・バタイユ |
ジョルジュ・バタイユについて、十代の頃からぼくがずっと疑問に思ってることがある。思想家としての彼の多くの仕事はともかく、地下出版された宝石のような小説群は、『眼球譚』や『青空』、あるいは『マダム・エドワルダ』は、ぼくの皮肉屋の友人が手紙に書いていたような「世界観」と呼ぶにふさわしいものなのだろうか? あるいはそれは、糞や小便のように、単に垂れ流されただけの印象のようなものにすぎないのだろうか? つまりぼくの疑問は、バタイユは認識者として生きたのか、行為者として生きたのかという一点にある。『眼球譚』の最終章で、バタイユはこんなふうに言っている。
<これらの想い出は、滅多に、私をつなぎとめることはない。長い歳月を得て、私に到達する力を失ってしまった。時がそれらを中和させたのだ。次第に歪み、猥褻な意味をまとい、歪められた、見分けがたいかたちでしか生命を取り戻せないのだった>(訳・生田耕作)
あるいは、四九歳の時に書いたヘンリー・ミラー論「ミラーの倫理」のなかで、こんなふうに述べている。
<……この世でかれの仕事となったものは、子供としての反逆を最後まで生き通すことだったように思える>(訳・山本功)
ミラーはバタイユより六つ年上で、同じように性にアプローチしながらどこまでもポジティヴであり続けた作家だった。バタイユはそんなミラーを「子供だ」と、半ば羨まし気に言うのである。バタイユは、冷笑を浮かべた大人として生きていくしかなかった。甘美な少年期の記憶なんてものとは無縁で、おぞましい記憶が時の彼方で中和され次第に歪み、猥褻な意味をまとっていくことを願いながら、ひっそりと小説を書き続けたのだ。それが無神論者だった父親を超克するための、たったひとつの方法だった。
バタイユは二九歳の時に初めてマルキ・ド・サドを読み、サドに関する多くの論文をのこしサドの埋葬された場所も訪れている。バタイユは、サドが破壊した神を自らの内に再生しようとしたのである。彼に必要だったのは、「世界観」などではなく「世界」そのものであった。バタイユは、キリストあるいは中国の受刑者のような父親を乗り超えるために、己の神になることを企図した作家なのだ。