第1章 過激でイノセントな子供達のリレー
VOL.1 ボードレールからヘンリー・ミラーへ

 われわれの神なき時代の最初のランナーは、誰だったのか。つまり、初めて言葉というものを意識的に使ったのは誰なのか。やがて自動車をさえ作り出すことになる言葉というものに、最初に誰が向かい合ったのか。それは、シャルル・ボードレールだと、ぼくは思っている。ボードレールがいなくても、やがてぼくらは言葉の時代を生きることになっただろう。エジソンやウォズニアックがいなくても、遅かれ早かれ人々は電気を使い、パーソナル・コンピュータを使用するようになったにちがいない。それと事情は同じである。だがそれでも、ボードレールこそはトップランナーだったのだ。19世紀におけるボードレールの自意識の化学とでもいうものが、20世紀を用意したのだ。
 だから、ボードレールの言葉が生まれる瞬間を振り返ることは、ぼくらが今置かれている状況を考えてみる上でとても有効な方法だと思うのだ。あんまり本を読まない人が増えているが、旧い本を読むことほど前向きな行為は他にないのである。
 ボードレール(1821-1867)はパリに生まれ、幼時期に父と死別し、母は再婚した。今でいうマザコンの影響が色濃く窺えるのはそのためだろう。あまりにも放縦な生活を送ったので、義父の命令で1841年南海の旅に出た。1842年にパリに戻り、亡父の遺産を使いながら、黒人と白人混血のジャンヌ・デュバルと同棲し、破滅的な生活を続けた。
 ボードレールにはまだカトリック的な意識がのこっていたが、同時にきわめて知的な批評精神に基づいて悪の中に美を探ったのである。それを感覚的な言語で緻密に表現した。象徴主義の先駆者であり、ユゴーによって〈新しい戦慄の創造者〉と賞賛された近代の代表的詩人だ。
 ボードレールがやったことは、簡単に言ってしまえば、詩から不純なものを取り除き、純粋な詩を抽出するということだった。歴史上の事実や宗教的な物語を「詩的に」表現していた当時のメインストリームに反抗し、詩に固有な魅力を発見しようとした。詩は詩であればそれでいいのだという考え方が、ボードレールを純粋な言葉というものの創造へ向かわせる。そしてここがポイントなのだが。そんな彼の詩は必然的に、神の国、あるいは聖書のプロパガンダとしての表現という枠組を破壊することになっていった。
 日常会話や、神へのオマージュとしての言葉ではない、純粋な詩の誕生。その時、ボードレールは結果的に近代的な自意識というものを獲得していたのである。
 こうして、1857年に詩集『悪の華』が出版された。だがこれは、風俗を乱すとの理由で起訴を受ける。いや、そうではない。このぶ厚い詩集が、神を中心にした世界に疑問を投げかけていることに、人々は気がついたのだろう。だから発禁にしたのだ。

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