■「不良少年の文学」はこんな本だよ
『Blessed Poison/不良少年の文学』は、ぼくの最初の文学評論集だ。あるいは、偏愛的作家論、好きな作家をめぐるエッセイ集である。今まで、ロック批評や美術批評の本を出したことはあるが、文学作品を対象にした批評は意図的に避けてきた。自分が書く小説の種明かしのようになっては、読者の方々には興ざめだろうという配慮からだ。 だが、精神のリレーというものが続けられているのだということを、どうしても知ってほしいと思うようになった。あるいは、世界は言葉というものでできているのだということを、若い人達にも知ってほしかった。
文学とは、あなたが好きな音楽や美術や映画や写真や自動車や、世界のあらゆる素晴らしいものを理解するための、最良の道具なのである。
かつて最初にミック・ジャガーに会った時の感想を「通信教育の生徒が初めて先生に会えたようなものだった」と書き記したら「ぼくもあなたに通信教育を受けてきたようなものだ」という手紙を何通もいただいた。
だったら、もっとわかりやすいテキストブックを書かないとな、と思ったのだ。
それが、この本である。
ぼくらを支えてくれた文学の本質は、高校や大学の教室では決して教えてくれないものだ。喉がかわいていなければ、水のおいしさはわからないものである。
本書に書かれていることは、山川健一的に歪められたり、事実誤認があったり、過大なイマジネーションがあったりするかもしれない。その辺は、許していただきたい。ぼくは今回、料理を作って食べてもらおうとしたわけではなく、あなたが過酷な現実を料理するためにバタフライナイフの使い方をコーチしたかっただけなのだ。
第一章の<過激でイノセントな子供達のリレー>は、自動車雑誌『NAVI』のミレニアムの特集のために、「20世紀のカルチャーが丸ごとわかるような原稿を3回の短期集中連載で書いてほしい」という求めに応じて、無謀な試みにチャレンジしたものだ。本書では、こいつをイントロダクションとして最初においてみることにした。
限られた枚数のなかで駆け足で書いたので、話はあちことに飛んでいる。時に話は文学の領域を超えて、さまざまなジャンルの未知の人名が出てきたりするかもしれない。
だが、これは大学や高校の講義ではない。
ひとりの作家は、もちろん文学の領域に閉じこめられているわけではなく、絵画に触発されたりひとりの女に夢中になったり、スポーツカーに賛美を送ったりしながら生きていた。ロックと呼ばれる音楽が受け継いだ文学の果実も多いのである。というわけで、話はあちこちに飛ばざるをえなかった。だから立ち止まったりせずに、かるく読み飛ばしてほしいと思う。
19世紀末から20世紀にかけて、不良少年達の魂のリレーがあったのだ、ということを理解してもらえれば、それで十分だ。
第二章の<ファックの国の住人ヘンリー・ミラーと、彼の最愛の女>からが、本編である。この章からは可能なら順番通り、じっくり読んで欲しい。ロックと呼ばれる音楽を聴くためにも、恋愛するためにも、臆病な自分を克服し社会に向けて自己を主張するためにも、癒しがたい傷を抱えながら生きつづけるためにも、自分自身のための文学を手に入れる必要があるのだということを理解してほしいのだ。
文学とは体系的な学問でもなければ、金儲けの手段でもない。
そいつは、生きる姿勢そのものなのだ。どんな権威にも絶対に屈服しないための、最高の方法なのである。
言葉。それこそが、あなた自身なのである。
よく読んだ上で、疑問があったらメールをくれれば、時間の許す範囲で返事を書こうと思う。
Contentsのページから本書の「もくじ」にリンクし、書く章のエッセンスを紹介してあるので、参照してください。
●「不良少年の文学」Contents
●カヴァー写真・ミック・ジャガー(by 小川義文)
●扉写真・ボードレール(by 小川義文)
| ハkenichi yamakawa |
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