僕はここにいる
PowerMacG3の向こう側の若い男
山川健一

(from MacFanInternet

 1995年の11月に、Macintoshに出会った。
 HTMLとShockWaveを覚えて、ホームページ
"BE HAPPY!"をアップしたのが、1996年の11月。ウェブマガジン"I'M HERE"をスタートしたのは、去年の12月のことだ。
 ぼくの日常生活は、一変した。BBSやメールによって、毎日多くの人達の声に耳を傾けるようになった。だが、読者というのは往々にして厳しい。ぼくの小説を読んでくれる人達はロックファンが多く、ロックファンというのがまた厳しい。
 いちばん厳しい声は、こんなのだ。
「『マッキントッシュ・ハイ』であなたのことを知った高2です。で、○○××という小説を読みたくて探しているのですが、本屋さんに置いてません。出版社に問い合わせても在庫はないとのことでした。再刊の予定はないんですか?」
 そういうメールを山のように受け取る小説家の気分というものを、想像して頂きたい。
 あの小説は頑張って書いたんだけど、たいして売れなかったしな、絶版にされてもしょうがないもんなあ……再刊なんかしてくれないだろうな……困ったよな。
 しかし、そんなメールは増えつづけ、遂に1000通を超えたのである。となると、状況は多少変化してくる。ぼくはそのメールを全部プリントアウトして、出版社に持っていったのだ。これは、なかなかに効果的な方法ではあった。何社かで、ぶ厚いアンソロジーが出ることになった。
 この話がふくらみ、作品集が出版されることになった。600ページ程度のぶ厚い本が7冊の、「山川健一作品集/iNovel」という名前だ。"iNovel"の"i"は、もちろんiMacやiBookのパクりである。いやいや、Macintoshの哲学と思想の継承だ。すなわち自立とか、インターネット・セレクションというような意味だ。ぼくが所属するHeadrok.incの制作で、メディアパルから出版される。その第一期の2冊、「Angels/水晶の夜」と「Rocks/蜂の王様」が、11月27日に刊行される。Macintoshに出会ってから4年、ホームページを開設してちょうど3年、"I'M HERE"創刊からならちょうど1年後ということになる。
 もちろん、DTPで作業をすすめている。
 ぼく自身も、QuarkXPress3.3の基本をマスターし……と言っても威張るほど難しいアプリではないが……校正の一部はQuarkXPress書類上でやっている。
 長い間、PowerMacG3/400に向かっていると、20年前にワープした気分になる。
 モニタの向こうに、若い男の背中が見える。20代前半のようだ。彼は西船橋の畑の真ん中に建った、恐ろしく古い鉄筋4階建てのアパートで机に向かい、原稿用紙に万年筆で小説を書いている。『群像』だか『海』だか、文芸誌に発表する小説のようだ。
 ボサボサの長い髪をして、顎に無精髭をたくわえた男は、栄養失調なのではないかと疑ってしまうほど痩せこけている。太陽の光になんか縁はないんだと言わんばかりに、肌は青白い。少しばかり開いた引き出しに、得体のしれない錠剤やシールが転がっているのが見える。庭には、<西船OS劇場>と書かれた宣伝カーが駐車してある。男の隣りの住人は、ストリッパーなのだ。
 足下の屑カゴには書き損じた原稿用紙が丸めて捨てられ、そいつは小さなカゴには入りきらずに部屋のあちこちに溢れている。
 部屋の隅では小さなストーブが燃えているが、男はそれでも寒いらしく、セーターの上にカーディガンを羽織り、マフラーまでしている。冷蔵庫の前には、飲み干した牛乳のパックとバナナの皮が山積みにしてある。男は、外食するのさえ面倒らしく、もう一週間も牛乳とバナナとパンだけで生活しているのだった。今が夕方なのか、明け方なのか、男にはそれさえもはっきりとはわからないらしい。
 最初の原稿用紙には、表題が記してある。<さよならの挨拶を>とある。どうやら、彼はこの小説をもう少しで書き終えるところのようだ。電話のベルが鳴る。ベルが20回ほども鳴ったところで、男は舌打ちすると立ち上がる。黒い無骨な受話器を取り上げる。
 2週間も連絡くれないなんて信じられない、と可愛らしい女の声が言っている。
「俺はそれどころじゃねーんだよ」
 あなたの顔なんて忘れちゃった、とまた愛らしい声が言う。
「俺も忘れたよ。じゃあな」
 男は電話を切り、机に戻る。またすぐにベルが鳴るが、男は無頓着だ。
 男は18歳で家出をして、それ以来もう何年も両親にさえ連絡していない。たった今電話をくれた彼女は、この地上でほとんどただ1人彼の健康を案じる相手のはずなのだが、そんな態度でほんとうにいいのだろうか?
 男は、最後の場面を、原稿用紙に書き記す。
<「早代子、もう決めたんだ。後悔なんてしないよ。おれたちは、短い人生にほんの数度しか訪れない輝かしい時を、精いっばい光り輝かすために毎日息を殺して生きてるんだよ。その瞬間がなければ、誰も長い砂漠を越えて行くことはできないんだ。おれは、この頃、本気でそう思うんだ」
 ぼくは、自分の声に気がついた。
 はっとして見ると、懐中電燈が床にころがっていた。カーペットの上を、光は扇形に広がっている。ゆっくり振り返ると、美術館の暗い空間があるだけだった。
 濡れた体は、芯から冷えきっていた。
 ぼくは立ち上がり、階段をおりて行った。そして、洗面所へ行き、鏡の前に立った。不様な男の顔があった。
 コップを持って、もう一度階段をのぼる。そしてもう一度、早代子の絵の前に立った。懐中電燈で絵を照らしてみる。早代子は、ぼくをぼんやり見つめている。
 J&Bのボトルをつかみ、中の液体をコップに注ぐ。いっばいに注ぎ、コップの縁に口を近づけた。強い臭いが鼻をつく。
 ゆっくり、コップを傾ける。冷たい液体が喉を通り、体に流れこんできた>
 主人公にトルエンを飲み干させた場面で、男の万年筆を持った右手が止まった。それからぼんやりと、彼は考えている。何度もため息をつき、男は長い髪をかきむしる。
 立ち上がり、男はドアに鍵もかけずに外に出た。庭に駐車した自分のオートバイ、GT250の前に腰を下ろして煙草を吸う。目は虚ろで、焦点を結ばない。一本吸い終わると、二本めに火をつける。
 男はふらふらと立ち上がり、ジーンズのポケットに両手を突っ込み、線路沿いの道を駅のほうへ歩いて行く。駅前のパチンコ屋に入った。小銭で玉を買い、パチンコを打ちはじめる。男は、鼻をすする。泣いたってしょうがないだろうに……。男の頭のなかでは、既に最後の一行が出来上がっていて、だが彼はそいつを原稿用紙に書き記す勇気がないのだった。こんな一行である。
<もう二度と、目覚めることはないだろう>
 意気地のない男がパチンコ台に向かう後ろ姿が、PowerMacG3のモニタの向こう側に見える。
 つい、昨日のことのようだ。

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