「蜂の王様」の主人公との対話
『蜂の王様』の主人公、高見沢俊彦が10年後に辿り着いた場所
作家とギタリストは1989年に出会った。二人は毎日のように会い、ギタリストが主人公の長編小説『蜂の王様』が刊行されたのはその年の5月30日のことだ。アルフィーの解散で終わる小説は物議をかもし……だが二人は沈黙を守りつづけた。小説の再刊を機に、そんな高見沢俊彦と山川健一の、初めての対談が実現した。(構成・石野みどり)
■この対談はNAVIに一部が掲載され、その後全文が"I'M
HERE"にアップされました。
■ 新曲、『Justice For True Love』と『A.D.1999』 ■
山川:変わんないね、本当。あれから10年も経ったのにね。
高見沢:やってることが全然、変わんないからなあ。繰り返しですからね、僕らの場合。山川さんも全然変わんないですね。
山川:でもアルバムの構成が複雑になって、すごくいいよね。組曲みたいじゃん。エマーソン・レイク&パーマーとかさ。
高見沢:あの辺が好きなんですよ、YESの初期の頃とか。ステージに合わせて曲作っちゃうんですよね。だからちょっと時代劇かかっちゃってオーバーなアレンジになっちゃう(笑)。音楽は家で手軽に聴くのもいいんですけど、癒しの音楽とかは好きじゃないんですよね。だってロックだって癒せますから。癒しの音楽がただ静かな音楽とは限りませんからね。あんなのばっかり聴いてたら、僕は逆にイライラしちゃいますよ。
山川:アルフィーの『Nouvelle Vague』を聴く前にね、マリアンヌ・フェイスフルの『ヴァガボンド・ハート』を聴いたんだ。
高見沢:新しいやつですか? まだ聴いてないんだ。
山川:それがね、結構落ち込むんだ。
高見沢:落ち込みます?(笑)
山川:別に俺はミックジャガーじゃないから関係ないんだけど、ミックの側にたって聴いちゃうからね。「ごめんな、ヒドイことして。お前もこんなになっちゃったのか」っていう感じで。落ち込むっていうか、ヘヴィだね。で、その後アルフィー聴いたら元気になるという。
高見沢:ああいう声ですか、ガラガラ声っていうか。
山川:もっとドスきいちゃったよ。
高見沢:「As Tears Go By」は彼女の歌ですからね、法律的に。
山川:あの天使の歌声が…。
高見沢:酒とドラッグと男ですか。ヤバイなあ。
山川:『Nouvelle Vague』は詩が凝ってるというか、アンシャン・レジウムとか、フランス革命のことを歌ってるんだね。今の時代に重ねてるわけだ。
高見沢:そうですね。あの当時のことはそんなに詳しくないんですけど。唯一の市民革命というか。ナチスドイツの占領下のレジスタンスとかね。僕はフランスの詩人でエリュアールが大好きなんですよ。レジスタンスとかそういう言葉に憧れてた10代の頃がありましたからね。かなりインパクトがあったんです。
山川:1999年というのを意識したんだと思うけど、「絶望的なんだ」と思いながら、でも「やっぱり希望はあるんだ、君は絶対に裏切られない」って言える音楽っていいよね。
高見沢:僕は『ブリティッシュ・ロックへの旅』にかなり感動しましたね。ローリング・ストーンズは狂気をまとうアウトローの最先端のようなのに、実は山川さんの説で言う「青空と太陽の光の中で、友情と絆とその向こう側に音楽があった」と。僕はすごく救われましたよ。これだよな、ロックはって。アルフィーはロックバンドじゃないんですけど。
山川:いや、ロックバンドでしょ。
高見沢:やっぱり音楽の基本は人間関係ですからね。それはキースとミックの友情や、もちろんそこにブライアンも絡んでくるんですけど。バンドの本質的なものってそこにある。僕らも明学(明治学院大学)のキャンパスライフでしたから。
山川:すごく明るい街なんだよ、ダートフォードって。
高見沢:あの駅の写真にジーンときちゃいましたね。写真の向こう側に見える雰囲気にね、山川さんの文章が混ざってなんとも言えない。ブライアン・ジョーンズの家の写真は、久しぶりに涙が出てきちゃった。
山川:だから明学での明るい時代があったとか、ダートフォードでガキの頃から友達だったとか、きっとそういうものが大事なんだよね。
高見沢:確信しましたよ。キャンパスの中で、芝生の上で歌ってるときがいちばん楽しかったですからね。
今年はちょうどアルフィーを結成して25年なんですね。それが世紀末の中で。世紀末ってみんな暗いというか、ネガティブなものしか出てこないんで、逆にしようと。「新しい時代がくる最後の時だ」ってそういう思いで曲を作ったりするのもいいのかなって。
山川:(歌詞をみながら)別にレコ評やるわけじゃないんだけどさ、希望のある歌詞だよね。歌詞と曲って一緒に作ってるの? 曲先攻? 『DNA〜Communication』の時もギリギリまで詞を直してたよな、スタジオで。
高見沢:やっぱダメですね。詞は不得意ですね。最後の最後まで出てこないですね。
山川:詞はメッセージだから、難しいよね。
高見沢:前はよく一緒にフレーズごと出てきたこともあったんですけどね。イントロとか、メロディの方が自分の中で先に出てきちゃうんで、詞は最後になっちゃいますね。
山川:25年やってきて、オーディエンスとのやりとりで反応の変化はある?
高見沢:こないだイベントを横浜でやったんですけど。
山川:あれ、20万人来たんだっけ?
高見沢:いや山川さん、あれはGLAY(笑)。あれはすごいけどね。僕らのは1日3万人くらいですね。両日で6万人くらい。25年やってると年代が、下が中学生から上は40代くらいまでいるんですよ。そこがちょっとおもしろいなって初めてみた人から言われたんですけどね。全然違う世代の人たちでも、拳をあげるとかノルという行為は同じだったと聞いて、やり方というのは全然変わってないんだなとは思いましたけどね。一時期、僕、音楽を変に誤解してて、ドッジボールでいいなと思ってたんです。ぶつけてぶつけて。いいやーみたいな。でもキャッチボールじゃなきゃいけないのかな、って最近ちょっと思うようになりましたね。
山川:大人になったじゃん(笑)。
高見沢:ぶつけろー、みたいな。倒れろーみたいな。でも、最近、それじゃマズいだろう、ちょっとって(笑)。
山川:ツアーの本数もすごいしさ。つまりデビューして初めて大きなところ、東京ドームとかでライブをやったバンドのようなスケジュールだね。あれだけツアーを維持するっていうのは、内面的にもつねにハイテンションでいかないと。
高見沢:あと、やっぱりチームワークがないとダメですね。それぞれがお互いに、ある程度レスペクトしている部分がないと、バンドは続かないと思いますね。
山川:ひとりじゃ無理かもしれないね。
高見沢:無理ですね。ひとりじゃこんなに曲が作れないかもしれない。自分の責任分担の中において、アルフィーの曲を作ろうという意識があるんで、今後こうしようかな、と。ディスカッションはたまにしますけどね。やってることは変わってないですね、あんまり。
山川:この『A.D.1999』(『Justice For True Love』のカップリング曲)っていうのは前に書いた曲なんだよね。
高見沢:そうですね、1982年に書いた曲なんですよね。まさかこの年まで歌ってるとは思ってなかったんですけどね。当時、ノストラダムスが流行ってて。
山川:ついこないだまで流行ってたよな。
高見沢:もう死んじゃうんだーみたいなね。もう終わりだー、めちゃめちゃやっちゃおうみたいな感じで、絶望的なムードがあったので。じゃあ、逆の歌を作ろうと。「この世に終わりが来ても、おまえだけは守ってあげよう」みたいな、偽善的な歌なんですよね(笑)。
山川:あれはエライよな。I'M HEREのスタッフが素晴らしい詞だってずっと言っててさ。
高見沢:パラドックスなんだよ、やっぱり。もう、むちゃくちゃになっちゃうから、逆のことも考えなきゃいけないと。
山川:俺にもそういう希望のある小説を書けっていうんだけどさ。俺はそういうタイプじゃないからな……。
高見沢:でも、希望のあるの書けるよ、山川さん。ダートフォードのようなああいう雰囲気のような小説っていうのは。結構、救われましたよ、僕。『ブリティッシュ・ロックへの旅』に書かれているのは、かなり本質があるなと思いました。シド・バレットのことに関しても。