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やがて母は、アルバイトの仲間に誘われてタウン誌の編集にも参加するようになった。そして、いろいろな、違う世界の人々と知り合ぅことになる。毎日が、輝きはじめる。
まあ、それは私の勝手な推測だが、それでなくても陽気だった母の、電話の声さえもが弾んでいるように感じられたものだ。
「結局な、父さんが悪かったんだと思うよ。母さんが考えたり、感じたりしてることが、ちっともわかってなかったんだ」
私は、ちょっと肩をすくめる。父は律儀で、責任感が強すぎるのだ、と思った。だが、もちろんそれは決して悪いことではないだろう。
「そりゃ、最初は腹が立ったよ。腸が煮えくり返るってやつだ。いや、今だってそれが治まったわけじやないさ。よくよく考えてみるとな。父さんだってそういうことがなかったわけじやない。若かった頃はな。でも、この歳でな。おれは恥ってものを知ってるつもりさ。しかし、まあ、仕方のないことなんだろうな。誰にでも間違いはあるものだよ」
隣のテーブルのカップルが立ち上がった。男が女の肩に、椅子の背にかけてあったレモン・イエローのカーディガンをかけてやっている。二十代初めの感じの、若いカップルだった。わあ、今日は親切なんだ、とショート・カットの女。
「でも、許せなかったんだろう?」
父は、黒縁の眼鏡をとり、閉じた両まぶたを親指と人差し指の腹で押さえた。こんなことは、おまえにだって言いたくはないんだが、と前置き、眼鏡をかけ直した。
「それもある。だが、結局のところ、母さんがあの男と別れられないってことなのさ。はずかしい話だけどな。父さんは、水に流そうって言ったんだから。おまえ、信じられるか。七つも若いんだぞ」
吐き捨てるように、そう言った。
「男のほうが?」
「そうさ。七つも歳下の設計家なんだ。達築学的な見地から見た町の造成計画みたいなことを、タウン誌に連載してるんだ。緑地は何パーセントのこすべきだ、とか」
「読んだのかい」
「何を?」
「タウン誌の連載さ」
「ああ、タウン誌な。まあ、一応は」
「その男、結婚してるの?」
「一度な。でも、離婚して、小学校五年の男の子と二年生の女の子は、女房のほうが引きとってるらしいよ。そいつ、家のほんの目と鼻の先の団地に住んでいるんだよ。五分とかかりゃしないんだ」
私は、七つ下の男と、たとえば公園みたいな所を腕を組んで歩いている、五十代半ばの母を思い描いてみた。そんなに悪くない光景であるような気がした。少なくとも、父が七つ上の女性と腕を組んで歩いているシーンよりは、ずっと爽やかな感じだ。もちろん、そんなことは、目の前の父には言えっこないけれども。
母は私に、無遠慮になんでもかんでも話してしまうことを教えてくれた。下品なことでも、私の同級生の悪口でも、とにかくなんでもかんでもだ。子供の前で、性的なきわどい話をすることもあった。それでいながら、私たちが愉快な気分を損なうことはない。面と向かって悪口を言われた当の同級生でさえ、にこにこ笑っているといった具合だった。
ただ、父がそんな自分の妻をどう思っていたのかということは、私にはよくわからない。わからないでもいいことのはずだった。
「編集会議の後は、必ずその男のところに寄っていたらしいよ。週に一度だ」
「詳しいことはいいよ。二人の問題なんだから」
「そうだな。悪かった」
父は眼鏡をはずし、丁寧にハンカチでレンズを拭くと、かけ直す。私は、テーブルの上のキー・ホルダーを弄んでいた。じやあ、早いとこ肝心な話をしよう、と父が言い、私は黙ってうなずいた。
「いいか、わしが離婚しようと思ったのは、もちろん今度のことがきっかけだが、きっかけなんてものはたかが知れている。だいぶ前から、わしは一人になりたいと思っていたんだよ。だから、母さんを責めないでほしい。悪いのは父さんのほうなんだから。こうなって、ほっとしてるんだ。わかるかな? おまえにはわからんだろうな。まったく、おまえには何もわかっちゃいないだろうな。何もわかっちゃいないくせに、よく写真なんてものが撮れるものだとあきれるさ。でもな、わしの歳になればわかるかも知れんよ。だから話すんだ。おまえは、どちらかと言えば、母さん似だな。だけど、わしの息子でもある。いつか、父さんが言ったことを思い出してみることだな。誰もが、ほんとは一人でいるべきなんだ。そんなこと、わかりきったことだったのにな。母さんと結婚したのは、間違いだったと思ってるよ。ほんとに、母さんには、とり返しのつかないことをしてしまったと思う」
そこで言葉を区切り、ひと呼吸おいて父はつづける。
「言いたいのは、それだけだ」
nextモ
※建部弥希プロフィール
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