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■和魂洋才、漢魂洋才における「和魂」の実体とは?

 日本人は、かつては中国の文化をものすごく大量に入れることによって、日本の文化を作ってきた。明治以降は、ヨーロッパ、アメリカの文化を摂取することによって国を成り立たせてきた。
 明治時代にはよく和魂洋才ということをよく言ったわけですが、あれは日本固有の精神と西欧から伝来した学問を合わせる、というような意味だよね。簡単に言ってしまえば、和の魂、洋の才能ということです。
 その前は、和魂漢才って言った。つまり、中国文化をテクノロジーとして受け容れはするが、魂の部分はあくまでも日本なんだ、ということです。
 日本人の面白いところは、何でも真似して何でも入れるんだけども、真ん中の魂だけは和魂なんだよ、と自分を戒め続けるところだと思います。和魂漢才であり、和魂洋才なんだというふうに決めて生きてきたところが非常に独特なところなのではないでしょうか。
 他のアジアの国が、とても真摯にドメスティックなカルチャーにこだわりすぎるあまり、経済的には立ち後れちゃったのに比べ、日本は今まで延々と積み上げてきたものを全部捨てて、脱亜入欧なんてヌケヌケと言いながら、明治維新以降の近代国家を作ってきた。中国や韓国のように、儒教に足を引っ張られることがなかったわけです。
 しかし、とりわけ戦後になると日本は大きな問題を抱えてしまった。ぼくらが今、和魂洋才と言う時、洋才の方は、もちろんコンピュータであるだろうし、科学技術であるだろうし、ビジネスのシステムだろうと思います。では、こうした洋才に拮抗すべき和魂とは何だろうか。和魂の実体って、果 たして本当にあるのかと考える時、すでにそれを失ってしまっていることに気がつかざるを得ないわけですね。これが今現在最大の問題なんじゃないかなとぼくは感じています。
 日本は、洋才だけを入れればいいと明治維新の時思った。
 しかし、たとえば資本主義ってもののシステムの背後には、キリスト教文化というのが色濃くあったんじゃないでしょうか。つまり洋魂というものがあったはずなんですね。アダム・スミスという人が、「見えざる神の手」ということを言って笑い者になったわけだけど、でも彼はあれを本気で言ってたんだろうとぼくは思います。「神の見えざる手」というのは冗談でもなんでもなくて、本当に彼はそれはあると思って言ってたんだろうと思うんです。
 資本主義というのはシステムだけではなくて、倫理とか宗教心とか、すごく儲けた人はものすごく貧しい人に還元するとか、ある種の宗教がベースになった一つのシステムであったのに、日本はその魂の部分を「俺達は才の部分だけもらえればいい。和魂があるんだから」と。便利で優れたシステムだけ入れればいいんだということでやってきて、それでも和魂というのが本当にあればよかったんでしょうが、実はそんなものは掛け声だけで実体がなかったんではないでしょうか。肝心の和魂がないから、つまり魂なしで、金が儲かればいいということに結果 的になってしまったんだろうと思います。それで、世界中でエコノミックアニマルだなんて言われちゃったんだと思うんですけど。
 それはとりもなおさず、ぼくらが和の魂というのを失っていることに原因があるような気がします。
 明治維新以降、あるいは戦後の日本というのは、ぼくはアルファロメオというクルマにしばらく乗っていましたが、アルファロメオみたいなもんだよね。つまりブレーキが効かないんだよ。今笑った人はクルマ好きな人だと思います(笑)。
 ぼくちょっと前まで、わたせせいぞうさんに言われましたが、真っ赤なポルシェ911ともう1台真っ赤なアルファロメオ・スプリント・ザガートというスポーツカーを持ってました。2台並べて駐車場に置いておいて、どこか出掛ける時にどっちか選んで、同じキーホルダーにキーが二個付いていて、気分で乗っていたんですね。
 ところが、疲れているとどっちに乗ってるか忘れちゃうんだよね。どちらも赤い色で2シーターで左ハンドルでしたから。
 どっちに乗っているか忘れていても、ポルシェの時は全然OKなんですね。パッと踏むとグーッと止まってくれる。これが反対のとき、結構飛ばしていて、どっちか忘れていてブレーキ踏んだ瞬間に「これはアルファロメオだった!」ということを思い出すと死にそうになります。それくらいアルファというのは、ブレーキが効かないんですね。
 戦後の日本の話に戻りますけど、戦後の日本というのはまさにスプリント・ザガートみたいなもので、ブレーキが効かない。そのブレーキというのは宗教心とか倫理とか良心とか思いやりとか、そういうものだよね。突っ走っちゃえばいいけど、ここまでやることはないだろうという。
 その極端な例が、狂牛病だったんじゃないかと思います。ぼくは全然知らなかったんだけど、肉骨粉というのは牛の骨を粉にしてあげちゃうわけでしょ。つまり、共食いさせてたわけです。ぼくは非常に慎重というか臆病というか、こう見えても執念深いというか、だからしばらく牛肉食べなかったよ。牛肉は絶対食べない。吉野屋の牛丼も絶対に食べない。みんなに「えっ、お前まだ牛肉食べないの?」って言われても食べない。ま、今は食べますけどね、たまには。でも、昔ほど牛肉は食べないようになりました。何故かというと、倫理的に許せないとか農林水産庁はふざけるなって思ってるとか、まあそういうこともないわけじゃないけども、生理的に「えっー、共食いさせてる牛の肉なの、これ?」という気味の悪さがあるからです。
 そんなことしてまで俺達は肉を食わなくちゃいけないのか。今でも、そういう感覚が消えずに体のどこかにのこっているような気がします。
 しかし、探せばその「和魂」というものは、きっとどこかにあるはずだと思うんですね。
 例えば、環境問題についても、欧米の環境問題に対するスタンスと日本人のスタンスには多少ズレがあるように思います。ぼくは89年ぐらいから「SAVE THE LAND」というイベントをやっていて、よくやったなと今は思いますが、毎月こういうようなところでライブやって、お喋りをして、来るお客さんからお金とってるのに宿題出してたからね。こういう課題について、次のライブまでにレポートを書いてくるようにって言って。それで翌月そのレポートを集めてコピーとって配付したりしてました。よくあんなことをやったと思うし、お客さんもよくついてきてくれたなと思います。


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